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純文学、ミステリ、SF、マンガ、オカルト等々、ジャンルを問わぬ乱読の末の読書日記です
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今回のお題 恋は底ぢから
中島らも氏の文章が好きで、エッセーは片っ端から読んでいる拙であるが、最初に読んだ氏の本がこれだった。 「お固い本ばっかり読んでないで、たまには中島らもの本でも読めよ」 という、まことに無責任な発言に触発されて買ったものだが、そもそもその時点で拙は中島らもという名前すらしらなかった。 だから、一種の出会いだったのだろう。 アルバイト先のコンビニの書籍の棚に1冊だけこの本が置いてあったのだ。 最初に読んだときには別になんとも思わなかった。 ただ、関西には関東にない言葉遣いがあるんだなということを認識しただけだ。 まあ、そのときには恋のまっただ中にいたので、恋愛系のエッセーには興味があったけれど、実のところそのときの拙は、大人の恋というものについてなにも分かっていなかった。 だから、氏が「恋愛」について書いても、それは「大人の恋愛」であって、拙には理解することが到底不可能だったのである。 あれからずいぶん経って、やっと子供っぽさから抜け出してきたかなという目安が。中島らもの文章と鈴木雅之の歌だったというのは、関連があるのかどうかは自分でも分からない。 本書の中に、ひとつ都々逸が紹介されていて、そのフレーズが拙は大好きだ。 人に言えない仏があって 秋の彼岸のまわり道 これと似たような感覚を持ったのが、鈴木雅之のきみがきみであるためにに出てくる歌詞だった。 君を愛さなくなって少し楽になったと 嘘をついて君を試した 君を愛さなくなって少し楽になるなんていう強がりは「大人」しか言えない。 結局、先の都々逸もこの歌詞も「忍んでいる」のである。 忍ぶ恋をできるのは大人しかいない。 そういう忍んだ切ない恋の話が、中島らも氏の文章にはたくさん出てくる。 だから、2004年は本当に悲しかった。 中島氏が亡くなったというのが信じられなかったのだ。 2004年は櫛の歯が抜け落ちるみたいにいろんな作家が死んだ。 鷺沢萠さんもも野沢尚さんもそうだ。 あれからもうすぐ3年が経つことになる。 その3年のうちに、父も祖母も他界した。 この3年が意味するものを拙はまだこの手におさめていない。 鈴木雅之メドレー きみがきみであるためには1番最初に出てきます。 鈴木雅之氏のその他の動画をご覧になりたい方は、画面上の文字の方をクリックしてください。 いくつかあります。 PR |
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年齢不明、性別不明、正体不明、意味不明のネコもといサル?
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